GM04A〜あヽ真希の調べ〜
江戸川から大阪へ。
メモリアルだった浜松を除いた、
GM04A〜あヽ真希の調べ〜について、
感じられた二、三の事柄を。
GM04Aを見て、阿部和重氏の評を思い出した。
松浦亜弥のコンサートについて書かれた、その評論の中で、
後藤真希と松浦亜弥のコンサートを比較し、
ごっちんのそれを「ライブ」、
あややのそれを「ショー」と表現していた。
氏のこの表現を借用すれば、GM04Aは「ライブ」ではなく、
「ショー」と捉える事ができるのではないか?
『眼と耳で鑑賞するものとしての「ショー」と捉え得る事』
ができる。
まあ、「アニメ」とは思わないが。
セットリストを含めた構成の妙で、楽曲不足を補い、
殺陣や和太鼓の演舞でステージに変化を与えている。
コントやMCも削り、歌でコミュニケーションする時間を増やしている。
確かに、楽しめる「ショー」ではある。
実際、私も十分楽しんでいるし(汗
しかし、阿部氏が表現した
『全身で体感するものとしての「ライブ」』という、
今年の春までのごっちんのステージは、そこには存在していない。
敢えて、表現を抑えているかのような歌い方も気になる。
そんな想いを抱きつつ、名古屋でのごっちんコンに参加してきます。
映画「彼女について私が知っている二三の事柄」のラストシーン、
監督のゴダール自身のナレーションが被る。
「私はゼロの地点までもどった。そこから出発するべきなのだ。」
このナレーション、「GM04A〜あヽ真希の調べ〜」にも被りますか?