あゆみちゃんのばかちん日記

あゆみちゃんことyoneya のばかちん日記です。

黄金のカルテット

W杯ドイツ大会の開幕、6月9日が直ぐそこに迫った。
3大会連続でW杯に出場する、日本代表コインブラ選抜。
昔を思えば、夢のような出来事だ。
その日本代表選抜チームの監督を務めるアルトゥール・アントゥネス・コインブラ
ブラジル代表のプレーヤーとして出場した過去には、
どのような成績を残しているのだろうか?


初出場は、1978年のアルゼンチン大会。
この大会では、攻撃的サッカーを取り戻したアルゼンチンが初優勝。
長髪を風になびかせて疾走するマリオ・ケンペスは、その象徴だった。
かつて我清水エスパルスを率いたオズワルド・アルディレスも出場している。
ブラジル代表は3位に終わった。
ジーコはサブ的な扱い。第一GKは、レオンだ!


1982年スペイン大会。
「黄金のカルテット」と呼ばれた中盤の4人、
トニーニョ・セレーゾファルカンソクラテスジーコが揃ったブラジル代表。
テレ・サンターナ監督が「私の夢のチーム」と豪語し、前評判も高かったが、
2次リーグのイタリア戦で敗戦。準決勝進出を逃してしまった。
優勝は西ドイツを3−1で破った、パオロ・ロッシを擁したイタリア。
「黄金のカルテット」といえば、
日本版「黄金のカルテット」は最早、死語なんだろうか?


1986年メキシコ大会。
マラドーナのためのW杯といわれたこの大会。
ブラジル代表は、テレ・サンターナが監督に復帰。
「黄金のカルテット」の一人トニーニョ・セレーゾは代表を退き、
ファルカンは殆ど試合に出られなかった。
当のジーコも左膝を傷めて満足なプレーができず。
ブラジル代表は、準々決勝でフランスにPK戦の末、敗れ去った。
この大会で、高田静夫さんが日本人初の主審を務めている。


「黄金」と呼ばれた当時のブラジル代表であるが、
選手時代、ジーコは一度も黄金のワールドカップを手にする事はなかった。
監督として初出場となる今大会の成績は?